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多田鼓太郎(ただこたろう)という人物
- ハンドルネーム
- kota
- 属性(平日)
- サラリーマン
- 属性(休日)
- ドラマー、お父ちゃん
- 趣味
- ホームページ作成、キャンプ、DREAM THEATER耳コピ、カタン
- 好き
- プログレ、かりんとう、ナウシカ、大友克洋、ラーメンズ、宮崎あおい
- 嫌い
- 梅干
現在活動中のバンド
- une-voix (ゆぬぼわ)
- 大学のサークルで知り合った4人で結成。ロックやらファンクっぽいのやらジャズっぽいのからアニソンまで色々と不思議な曲を作り出している。
- Funq-est (ファンクエスト)
- キーボードボーカルKanaを中心に結成したFunk/Soul、ClubJAZZバンド。代官山LOOPを中心にファンを増やすべく活動中。
- in the car(イン・ザ・カー)
- 30代になって初めて本格的な「B’zコピーバンド」はじめました。
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休止中もしくは過去活動していたバンド
- ZORRO(ゾロ)
- サポートドラマーとして2010年より参加。男4人のJ−ROCKバンド。幾多のメンバー変更を繰り返しながらも10年以上の歴史がある長寿バンド。休止中。
- オマーと俺物語
- サークルの大先輩、松江さん主導で結成された、THE MARS VOLTAのコピーバンド。今後も活動続けていこうというところで松江さんがドイツ転勤となり一時休止中。
- sumoo(すもー)
- 大学のサークル出身、東東京から世界へはばたけ!と約2年活動。現在、sumooとしては活動休止中。ボーカルとギターの2人が「スモークポーク」のユニット名で活動継続。
- Fujiko(ふじこ)
- 初ライブで100人のお客さんを動員。ギタリストhiroki(現在、東京グランドアンサンブル主宰)の誘いから2005年結成。約1年半の活動をもって解散したが、2009年に一夜限りの再結成ライブ敢行。
- FUMISATO(ふみさと)
- HR/HMしか知らなかったkotaに、ソウルフルな曲たちの楽しさを教えてくれたフミ先輩・ミサト先輩のツインボーカルバンド。
- bgms(ビージーエムズ)
- 下北沢を中心に活動した3ピースバンド。ギターボーカル小山田壮平とベース藤原寛は現在andymoriで大活躍中。
- 人見知り天狗
- 楽しい音楽を、仲の良い仲間で集まって練習して、たまに発表して、ただ楽しむ。そしておいしいお酒を飲む。そんなバンド。
- 非の茶(ひのちゃ)
- 高校時代、椎名林檎のコピーバンドとして結成。高校卒業後、オリジナル曲作成に転向し一度ライブをやるものの以降のバンド活動は停止状態。高校・大学の友人で、現在もシンガーソングライターとして活躍している、カスヤキョウがベースとして参加していた。
- あさきゆめみし
- 高校の友人、ミホがボーカルをつとめたオリジナルバンド。このバンドでギターを弾いていたのは現在Youtubeで有名になっているkinoyou1019。
- JUNON(じゅのん)
- kotaがまともに組んだバンドでは最も古い、つまり初めてのバンドがJUNON。樹音(じゅおん・現FUZZY CONTROL)のコピーバンドとしてスタート、それ以降、旧き良き時代のHR/HMのコピーバンドとして高校の学園祭で中高年のハートを鷲掴みにする。JUNONのベーシストは現在rain drops pianissimoでギターボーカルとして活躍している。
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kotaの活動履歴
- 1984年
- 音楽好きな一家に生まれる。
- 1991年ごろ
- 地元公民館のチャリティーコンサートで初めて「バンド」というものを経験する。
- その時に演奏したのは、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。今でも大好きな曲の一つ。
- 1996年ごろ
- 母親の薦めもありドラムを習い始める。
- 西野庸介先生に師事。月に2〜3度のレッスンを楽しみにしつつも、普段はサッカーにあけくれる。
- 2000年ごろ
- 高校に進学したころ、中学の友人から誘われてバンドを結成。バンド名は確りとは覚えていないが、男子中学生のノリでつけたような名前だったと思う。
- この時最初に課題曲になったのが、「SMELLS LIKE TEEN SPIRITS / NIRVANA」「WONDERWALL / OASIS」「BLACK STAR / RADIOHEAD」「JOURNEY TO THE END OF THE EAST BAY / RANCID」だったと記憶している。
- とにかくスタジオで楽器を鳴らす楽しみを知ったのが、この時だ。
- 同じころ
- 高校に入って完全にサッカーをやめ、なんとなく帰宅部で過ごしていた最初の頃。クラスの友人に誘われていったライブが、自分の音楽人生を変えた。それは「樹音(現・ファジーコントロール)」のライブだった。
- 自分と同じ歳なのに、超絶なテクニックと観客を引き込むオーラでステージにたつ樹音の姿には間違いなく影響を受けた。
- その後、樹音の曲のコピーをするためのバンド「JUNON(じゅのん)」ができるまでそんなに時間はかからなかった。そしてその「JUNON」のメンバーとともにフォーク部(実態は軽音楽部)に入部を決意。
- 2001年ごろ
- フォーク部に入ると、世界は一気に開ける。TSUTAYAに通いつめ、ひたすらいろいろなバンドのCDを借りて必死にMDに落としていたのもこの頃。
- もともとフォーク部にいた同級生から誘いを受け、椎名林檎のコピーバンド「非の茶(ひのちゃ)」を結成。以降、メンバー変更を加えつつも「非の茶」は高校卒業以降まで続くバンドになる。
- 「JUNON」はといえば、ハードロックな樹音の曲のコピーをフォーク部の先輩たちに見せつけるも、ブラフマン・ハイスタ・B−DASH全盛期のフォーク部では若干特異な存在として受け取られ、以降卒業するまでその立ち位置は変わることはなかった。
- 「JUNON」にてDEEP PURPLE、LED ZEPPELIN、VAN HALEN、BOSTON、MR.BIGなどのコピーをやり続けることにより、着実にkotaはハードロックドラマーになっていく。
- 2002年ごろ
- 「JUNON」は少しずつ外の世界に出ていくようになる。「川越チコ」「新所沢PEGGY DAY」など今では懐かしいライブハウス。
- フォーク部でも最高学年になり、学園祭前のオーディションライブ(順位が高いバンドほど、学園祭当日で長い演奏時間をもらえる)にて「JUNON」は2位となり、学園祭1日目のトリを務めることになる。
- 真夏の暑い講堂で、最後までハードロックな選曲で走りぬいたあの頃を思い出すと、まさに青春。
- ちなみにセットリストは覚えている限りでは「TO BE WITH YOU / MR.BIG」「SMOKIN' / BOSTON」「HIGHWAY STAR / DEEP PURPLE」「ICE CREAM MAN / VAN HALEN」「ROCK AND ROLL / LED ZEPPELIN」など。
- 2003年ごろ
- 大学に入る。同じ大学に進学した「非の茶」のベーシストとともに音楽サークルを廻る。
- 音楽サークルが幾つか集まって開催される合同新歓ライブがあるという。さっそく行ってみる。
- 驚いた。
- 正直な話、初めて聞いた曲だった。だが、高校生と大学生の演奏レベルの差を実感するのにこれほどふさわしい曲もなかった。そう、「METROPOLIS PART1 / DREAM THEATER」との出会いだった。
- そしてその曲を完璧に叩いていたドラムの佐藤先輩に憧れた。そのままそのサークルに入った。これが音楽サークル「ロックラ」に入ったきっかけである。
- 2004年
- 「une-voix」メンバーとの出会いも、このサークルだった。大学1年生の新入生コンサート(冬)で、EGO-WRAPPIN'のコピーバンドとして結成した「ERO-WRAPPIN'」。これがライブ終了後に意気投合してオリジナルバンドとしてやっていこうと組んだバンド、それが「une-voix(ゆぬぼわ)」である。
- 「une-voix」は2004年夏に結成、秋の大学学園祭に出演しそれなりの評価を得、以降マイペースながら息の長い活動を続けている。
- 2005年
- 大学のサークル発のオリジナルバンドがもう一つ結成される。その名も「sumoo(すもー)」。両国・浅草近辺で有名になってやろうと立ち上げた、ポップスバンドである。
- 浅草KURAWOODを起点に2005年夏より精力的に活動。大学卒業の年になり「sumoo(すもー)」としての活動は無期限活動休止となるが、現在もボーカル:みかとギター:つぼの2人は「スモークポーク」のユニット名で活動中。
- また、中学の同級生であり、同じ大学ながら他サークルに属していたベーシスト藤原寛(現・andymori)に誘われて2005年冬頃より、andymoriの前衛バンドでもある「bgms」で活動を開始。
- 時を同じくして、高校時代に精力をつぎ込んでいた「JUNON」メンバーのうちギタリストhiroki(現・東京グランドアンサンブル演出家等)らとともに新バンド「fujiko(ふじこ)」を結成。
- 「fujiko」は音楽の専門学校生であったバンマスhirokiの当時の音楽観による実験バンド的要素があったが、当時ファーストライブで100人以上のお客さまを動員し、今聞き直しても試行錯誤の色が随所にみられる珠玉の曲たちは興味深い。
- さらに、高校時代の友人に誘われ始まった「あさきゆめみし」というオリジナルバンド、高校時代の仲間でブラバン出身の管楽器担当なども加えた大所帯バンド「人見知り天狗」への参加、「非の茶」のボーカルと組んだ別バンドの活動、サークルのフミ先輩・ミサト先輩のツインボーカルバンド「fumisato(ふみさと)」への加入など、当時が最もバンド活動において多忙な時期である。
- また付け加えればこの頃、僭越ながら自分自身もドラムの講師となり知り合いの方のお子様2人(中学生・小学生)にドラムを教えていた。今ではお兄ちゃんはPAとして活躍されているようだ。
- 2006年
- 年明けから世間は就職活動。ギリギリまでライブ活動に忙しかったkotaも年明けから内定までは就職活動に明け暮れる・・・かと思いきや、かなり平行してバンド活動は行っていた。
- 音楽で食べていく道をとるか、サラリーマンとなるか、究極の命題に自問自答を繰り返した時期でもあったが、「一番好きなことは仕事にしない」という考えから就職する決意をする。このことにより、「bgms」を脱退。
- 「sumoo」も前述のように、社会人の道をとったメンバーと活動を継続したメンバーに分かれ、実質的に活動休止。
- その他さまざまなバンドが休止・自然消滅となる中、「une-voix」だけはスローペースながら活動を継続。
- 2007年
- 社会人となりバンド活動量は激減。
- 年に数回の「une-voix」ライブと、今までやっていたバンドの再結成・一夜限りライブなどがあるのみ。仕事に打ち込む時期。
- 2010年
- 社会人バンドを会社で組もうと色々模索するものの、うまくいかず。
- そんな中、会社の新人研修で同じクラスであったSHINGO(ギターボーカル)よりサポートドラムでの参加を呼び掛けられ「ZORRO(ゾロ)」参加決定。
- 2011年
- 11月頃、大学時代の他サークルの先輩でもあったKanaさんより突如連絡があり、新バンド結成。その名も「Funq-est(ファンクエスト)」。Kanaも社会人ながら、音楽でできる限りの表現がしたいとの想いに共感、仕事最優先かつ音楽も最優先で社会人バンドマン継続中。
- 2012年
- Funq-estで1stSingle「Funq−est」を発表。
- 2013年
- ZORRO、レコーディング作業開始。
- une-voixで初の企画ライブ、「僕らの変拍子Vol.1」を開催。
- 2014年
- サークルの先輩より声をかけられ、The Mars Voltaのコピーバンド「オマーと俺物語」結成。9月にライブ。
- 「une-voix」のベーシストばく経由で、シンガーソングライター藤井周(あまね)氏のサポートドラム依頼あり。新アルバムのレコーディングメンバーとしてレコ初ライブ(8月)までサポート。
- 2015年
- ZORROメンバーの転勤に伴い活動休止していた中、ZORROボーカルのSHINGOより「B'zのコピーバンドを社内で作らないか」の誘いがあり、in the car(インザカー)結成。
- 2016年
- Funq-est再始動。レコーディング実施、新曲「COLORFUL」をiTunes他でインターネット配信開始。
- in the car初ライブ(4月)
- 2017年
- in the carライブ(10月)
- 時を同じくして、10月より仕事の転勤で鹿児島県へ赴任。
- 2018年
- バンド活動から物理的に遠ざかり、自家用車で鹿児島県じゅうのスポットを散策する週末の過ごし方へ。またその中で「キャンプ」という新しい趣味に目覚める
- 2019年
- 4月転勤で関東に戻り、住まいが神奈川県となる。
- 間もなく、in the car活動再開。翌年3月に初の自主企画ライブを計画し練習に励む。
- 2020年
- 新型コロナウイルス感染拡大、緊急事態宣言を受けin the car自主企画ライブも敢え無く開催自粛に追い込まれ、音楽活動ストップ。
- 9月。満を持して我が家にROLAND電子ドラム「VAD506」がやってくる。家でドラムが叩けることのありがたさに感謝し鈍った感覚を徐々に取り戻していく。
- 2021年
- 中学時代同窓の音楽仲間ウッチャン(潮時FM)から声をかけてもらい、「Black Star / radiohead」のカバー動画を作りFacebookで配信。ここから電子ドラムを叩いて動画を作成→配信することを始めるようになる。
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